現場の声を、市政の議論へ。

PROFILE STORY

小田桐たかし物語

神戸での生い立ち、医療現場、震災、そして流山市議会へ。
3つの記録から、その人柄と活動の原点をたどります。

その歩みを、もっと詳しく

人の痛みに寄り添い、声を政治へつなぐ。

この3部作は、後援会のみなさんが節目ごとに綴った「小田桐たかし物語」を、ウェブで読みやすい形に再構成したものです。家族や地域に支えられた少年時代、医療現場で感じた矛盾、市民とともに実現してきた歩み。数字や略歴だけでは伝わらない、小田桐たかしの素顔をご紹介します。

2つの読み方紹介版と原文を切り替えて比較できます

小田桐たかし物語1999

原点から、市議会への挑戦へ

神戸での幼少期、家族の病気、阪神・淡路大震災、そして医療現場。人の痛みに寄り添う政治を志すまでの物語です。

01

神戸で育った元気な少年

小田桐たかしは1973年、神戸の市営住宅に生まれました。冬でも半袖・半ズボンで走り回る元気な子どもで、母が作る「いかなご」の佃煮が大好物。中学生になると風紀委員長として毎朝校門に立ち、厳しい校則のなかでも、相手を外見だけで決めつけずに接していました。

高校の合格発表の日、父が心筋梗塞で倒れ、続いて母も腎臓を患いました。一生懸命、まじめに生きているのに、なぜ――。家族の経験は、医療や暮らしを支える仕組みについて考える原点になりました。

02

震災と医療現場で知ったこと

阪神・淡路大震災の後、徳島から神戸に戻り、瓦礫のなかで水を運び、片付けに汗を流すボランティアの姿に心を動かされました。復旧を優先する神戸の病院では就職がかなわず、流山の東葛病院で放射線技師として働き始めます。

仕事にやりがいを感じる一方、費用を気にして脳腫瘍の検査をためらう患者さんの姿に胸を痛めました。命や健康が、家計の事情によって左右されてはならない。この実感が、政治への挑戦を後押ししました。

03

25歳、市議会へ

「一度挑戦したら」と背中を押され、25歳で市議選への立候補を決意。市民の願いをまっすぐ議会へ届け、初石駅のトイレ水洗化やエレベーター設置など、暮らしに近い課題を一つずつ前へ進めました。

「市民の声、一つひとつの相談、家族とのふれあいが自分の血肉になり、ほかの方の痛みに共感できる」。その言葉には、議員として大切にしてきた姿勢が表れています。

小田桐たかし物語2007

子どもたちの願いを、まちの力に

初めての選挙で受け取ったタンポポ、子どもの医療費助成、学童クラブの改善。現場から政治を動かした歩みです。

01

タンポポがくれた決意

25歳、初めての市議選。自転車で住宅地を回り演説を終えた小田桐に、二人の女の子がタンポポの花束を差し出しました。「はい、これあげる」。胸に熱いものがこみ上げ、「子どもたちのためにも、しっかりしなければ」と候補者としての覚悟が固まりました。

幼いころから、弱い子や小さい子には優しく、間違っていると思えば年上にも声を上げる性格でした。そのまなざしは、子どもたちの暮らしと学びを守る活動につながっていきます。

02

「医療費助成を良くして」

「東京では6歳まで無料なのに、なぜ流山では2歳までなの?」。乳幼児を育てる保護者と市民の声を受け、小児科医との懇談や費用の試算を重ねました。粘り強い運動が実り、2006年、6歳までの医療費助成が実現。議会で決まった瞬間、思わず両手を握りしめて「やったー!」と声を上げました。

市民、保護者、先輩議員が積み上げてきた運動を受け継ぎ、願いを制度へつなぐ。小田桐の活動は、いつも共同の力を大切にしています。

03

現場を見て、改善へつなぐ

狭く休む場所もない学童クラブでは、独自に面積を測り、子ども一人が自由に使える空間がわずか1平方メートルだと明らかにしました。「現場をきちんと見たんですか」。議会で問い、異例の現地視察と施設の増設につなげました。

多重債務などの相談に応える「れんげ道場」の立ち上げにも参加。生活の困りごとに向き合い、必要な人や制度へつなぐ活動を続けました。住民の要求が実現した時、みんなと一緒に喜び合える。それが議員になって一番うれしいことだと語っています。

小田桐たかし物語2011

大災害のときほど、心と心をつなぐ

東日本大震災直後の支援、市民相談、議会での論戦。困ったときに欠かせない議員として走り続けた記録です。

01

南相馬から避難してきた人々

東日本大震災後、流山の避難所には南相馬から子どもと大人が身を寄せていました。「温かいおにぎりが食べたい」。その声を受け、地域の方々とともに食事を届けようと奔走し、施設で電気や湯飲みを使えるよう市へ粘り強く求めました。

市民から預かった新品の雑巾を石巻へ届け、市独自のバスが出ないなか、市民ボランティア隊を募って35人以上で被災地へ。大災害のときほど心と心をつなぐ姿勢には、阪神・淡路大震災で支援の力を体感した原点があります。

02

困ったときは小田桐さん

計画停電の朝は初石駅で利用者に情報を伝え、断水時は車で地域を回って知らせました。耐震性に不安のある保育所や病院、帰宅困難者の避難所、瓦屋根や塀が崩れた現場へ。必要な情報を届け、市職員とも汗を流しました。

生活苦、リストラ、心の病、家族の離散、いじめ、難病、福祉の手続き、工事トラブル。日々寄せられる相談に耳を傾け、現場と制度の双方から解決の道を探してきました。

03

市民の声を支える、確かな論戦

議会では子どもの医療費助成、初石駅の改善、国民健康保険料の据え置きなどを提案。震災後は放射能の独自測定や除染を前提にした計画、焼却灰の安全な保管を求め、具体的な対案を示しました。

言葉の裏にあるのは、たくさんの市民の不安と苦難を受け止め、実現しなければならないという思いです。人間を大切にする心と、やさしいまなざし。それが小田桐たかしの活動を支えています。

変わらない原点

「住民の要求が行政に反映され実現できた時、
みんなと一緒に喜び合える」

現場を見て、声を聴き、議会で問い、実現まであきらめない。
小田桐たかしは、これからも地域のみなさんと歩み続けます。

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